【いいさか通信Vol.67】
2022/02/25
いいさか通信。
もう、だいぶ経ちましたが、明けましておめでとうございます。
みなさんはお正月はどう過ごされていましたか? 私はいつもの事ですが、どこにも
行ってません。ここ2年くらいはコロナ禍のこともあり、人混みのところは出来るだけ
避けています。 というよりコロナ禍前からもあまり繫華街にはいきませんが。
最近はめちゃくちゃ寒い。事務所でエアコンを効かせてもあまり効果がないように思う。
毎年ならばエアコンがないくらいでも大丈夫で、CADのオペレーターが寒い、寒いといって
も何がそんなに寒いのかと感じるぐらいでしたが、今年は最近にないくらいの寒さです。
前号に引き続き、高校時代のバス通学に関することをお話させていただきます。
横山高校前(横山高校が廃校になったためバス停の名前も変わり、今は「国分峠東」になっています)から
河内長野駅迄の約10キロ、時間で言うと30分くらいです。
道路は今のような外環状線もなく、旧170号線で天野山を通っていく道路です。
高校入学のころのバスはワンマンでもなく、整理券というものもなく、車掌さんがいてバスの中で切符を
売っていたように思います。さすがにボンネットバスではありませんでしたが、今から考えると大昔のよう
な光景でした。それから間もなく、車掌さんがいなくなりワンマンになり整理券が発行される機械がつき
バスも綺麗になりました。河内長野行きのバスは朝7時台には25分と42分の2本しかなく25分に乗るの
には早く起きなくてはならないので気忙しくいつも45分に乗っていました。
だけど、これに乗ると河内長野駅まで30分、学校まで15分くらい歩いかなければいけないので始業式の
8時半にはギリギリ間に合う時間で途中のバス停で乗り降りや交通状態で時間が少しでも掛かれば遅刻
になります。そこで遅刻にならないためによく使ったのが「伝家の宝刀」、 水戸黄門で
言えば「葵の御紋」
「控え、控え、この紋所が身に入らぬか、このお方を誰と心得ておる」というように「延着証明書」を出すの
です。この「延着証明書」は不思議といつでももらえていましたので予備をたくさん持っていて自由に使っ
ていました。
テレビの水戸黄門では何十回も効き目があるのですが、あんまりいつもの事になりますと効き目がなくな
り、「またか」とよく言われたものです。